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サイト運営者の🍍ヘアーです。
🍍ヘアーってどんな人?
小さい頃から家庭内でも学校でも違和感があり、自分の居場所を常に探していた。どこにいても、しっくりくる場所がなかった。14歳の時に、遊びに来たアメリカ西海岸で、やっと自分の居場所を見つけたような気がして、20歳で移住する(大学留学ー>グリーンカード取得ー>卒業ー>就職ー>結婚ー>離婚ー>再婚)。
17歳の時に、遊びに来ていたアメリカ西海岸でサウジアラビア人の男の子との運命的な出会いがあり、私は将来彼と結婚してサウジで暮らすと思っていた。が、10年付き合った後、別れがやって来た。
それから、狂ったようにアルゼンチンタンゴにハマる。
30歳を過ぎてから、結婚。夫は、白人社会で育ったアメリカ人で、外人の友達が一人もいなかった。付き合ってすぐに彼に言われた言葉。「People judge you how you speak and how you write」 厳しい。そこから、英語のもう特訓が始まった。大変だったけど、今では感謝している。ホントに。彼の特訓のおかげで厳しいアメリカ企業で働き続けられたと思う。
7年間の結婚生活の後、離婚。離婚後も、なぜか彼もお義父さんも、いつも気にかけてくれ、私の再婚した夫にも良くしてくれて、家族ぐるみの付き合いというか、大家族のような感じになった。感謝。感謝。感謝。
再婚した夫は、外人の友達が沢山沢山いる人。彼が育った家の傍に、チャイニーズレストランがあって、そこの家の子供たちと一緒に、カンフー映画を毎週末みていたらしい。アメリカ人なのに、ホットドッグより、PhoやJapchaeが好きという変わり者。私も変わり者だから、丁度良いのか。
ここ数年間で、親友と恩人5人が亡くなった。その後、引きこもったが、最近、また地上に出てきた。あの5人が私のコミュニティーだった。これから、私は新しいコミュニティーを見つけられるのか?
ブログを始めたきっかけ
去年、トリプルバイパスの手術をした。もしかしたら、死んじゃうのかなとも思ったが、死なずにすんだ。私は生かされたのか?
手術後、私のお葬式の夢を見た。私は、布団の上で死んでいる私を上から見下ろしていた。布団の脇には紫の着物を着た大きなお坊さんがいた。お坊さんの後ろに、知らない人がいた。それだけ。私のお葬式はなんとも質素な物だった。目が覚めたとき、このまま死にたくない、死ぬ前に色んな事を伝えなくてはと思った。
🍍ヘアーのアメリカ生活を訪問してくださった皆様
私のように家でも学校でもどこでも、しっくりこないなーと思っている人がいたら、自分の居場所を探してみてください。今、居る場所は、あなたが居る所ではないのかも。引っ越したり、旅をしたり、一緒にいる仲間を変えてみたりしても良いのです。たまには、引きこもって一人の時間を持っても。人生長い。しっくりくる場所を皆さまが見つけられますように。